みんなの不思議に思うこと

みんなが不思議に思っている事を載せていくブログ

冬に太る不思議。ごはんがおいしい不思議

いつも食いしん坊な私は、口を休めているときのほうが少ないかもしれない。すみませんそれは言いすぎました。


でもやっぱり夏に食べるご飯よりも涼しくなってきたご飯のほうがおいしい。

 

絶対に美味しい。なにかのテレビでも言っていたけれど、動物は冬に体に食べたものを蓄える力があるとかないとか。いや、絶対にあるはずだ。そうじゃなかったら今私の体がこんなに丸いわけがないもの。


そしてさっき食べたばかりなのにおなかがすくのもどうやら早いぞ。きのせいきのせいと言い聞かせるがお菓子を食べる僕。不思議で仕方がない。


ふと思う。なんで冬に太ろうとするのだろうか。決して自分がただ食べすぎだとは認めない根性が書いていてわかる。僕はこんなになにかのせいにする人間だっただろうか。


否。違うはずだ。本当に冬だから太るのだ。気のせいじゃないはず。だって年始、会社に出勤するとまわりの人間の8割はやや肥えた?という感じだからだ。


もちろん女性にそんなことは言わない。だが割合的には女性のほうが丸みを帯びている気がしないでもない。そんなセクハラまがいなことは絶対に言わないが。


まあ女性は少し丸いほうが魅力的だと思うので。がりがりはいかんです。冬、おいしいものをおいしく食べましょう!!

生きていくことの不思議 寿命の不思議

前まではなんとも思っていなかった生きているということ。


だってそんなに考えなくてもただ息をして心臓が動いていて。何も不思議なことはないし、そんなことをわざわざ考えるひまはなかったのだ。


でも最近主婦になって毎日起きてご飯の準備、洗い物、洗濯物干してたたんでとかルーティーンが決まってきて。


空いた時間にふと思うのだ。主婦になった今のほうが、一日の時間の流れが早く感じるようになった。自分が仕事をしているときは一日がとても長かった。


そして家に帰ってからがとても早くて気づいたら会社にいるような。きっとリラックスした時間やストレスがない時間ほど早く感じるのだと思う。


だから今きっとなんでもない毎日を過ごせているから、時間の流れが早く感じる。だからこのまま年をとって気づいたらおばあちゃんなのかなと。


極端だろうか。そうかもしれない。でもいつか死ぬ時がくるんだよなあと考えるようになった。八個上の旦那様も今は元気だけど、もうあと30年したら病気がちになるかもしれない。そう考えたら、ずっとずっと健康でいてねと願うばかりだ。


なぜ人は生まれて死ぬのだろうか。悲しすぎる。そう考えて気づく。わかった、わたしって自分が思うよりひまなやつなのだと。

揺れてはいけないのに揺れてしまう自分の心

私は決められている結婚相手がいます。その人を愛さないといけないと分かっているのにいつも自分に近寄ってきて話聞くよだとか、悩みとか辛い事があったら全部俺に言いなと言ってきてくれる人、またその他に自分が結婚しないといけないと知っているのにも関わらず懲りずに好きだとか毎日連絡してきたり会いたいとか好意を示して来る人等がいます。

 

しかも結婚相手以外は皆同じ大学です。

 

人生の大きな決断をしないといけないし、自分も普段はこれと決めたら絶対揺るがない信念の持ち主なのに結婚するかどうか迷ってる自分がいます。

 

他の物事に対しては迷わず決められるのに、なぜ今相手がいるはずなのに迷っているのか不思議でたまりません。

 

あと、何故大事な時期に限ってこうやって周りに自分にだけよくしてくれる男性が1人ではなく何人も出てくるのかも不思議です。自分の人生を操っているのは一体だれなのかと問いたくなってしまいます。


 あとは、自分の姿を見て私は別に何もやっていないし誰かの好きな人を奪ったとか、ただ自分は一方的に相手側から押し寄せられるだけなのに、友達からいきなり見てて呆れるだとかいい加減にしてだとか怒られたりします。

 

心当たりがあるとすれば自分がいつも絡んでいる男の人が学校でもかっこいいと言われている人たちばかりだという事ぐらいで、やきもちでもやいてんのかなとおもうのですが、そんなにいう位ならあなたたちも一緒に遊んだりすればいいのにと思うのですがそんなこと言ったら事が大きくなりそうなのでいつも無言で聞いているだけです。なぜ男女関係でこうなってしまうのか不思議でたまらないです。

たまに思う不思議な妄想 この世界

たまに思うことがある。もし「いま」という時間が、未来のわたしが戻りたい過去をやり直している最中だったらと。


30年いや40年先の未来。科学がとっても進歩してタイムマシンを作れたとする。

 

今ペッパー君がいるなんて江戸時代の人から見たら目玉が飛び出る話だろうから これくらいできててもなんも不思議じゃないはず。

 

まあ40年の差なら夢物語かもしれないけれど。そんなことはおいておいて。


未来、あの時にやり残したことを若い時にやっておきたかった。

 

よし、あの時に戻ってやりなおしてみよう!ともしかしたら大金を払ってこの時代に戻ってきたのかもしれない。


だけど戻ってしまったときに私は未来の記憶を一切合切なくしてしまうのです。それでもいいかどうかが戻れる条件。


だから今の時代に戻っても戻ったなんて感覚はいっこもなく、ただただ普通に過ごしていまになっているように錯覚しているだけ。


かもしれない!!って考えるとなんだか「いま」が特別になりませんか?

 

不思議すぎるし一見ありえなさすぎるかもしれないけれど、昨日今日の記憶ももしかしたら 作られているのかもしれない。

 

そう考えながら今日もふわっとまったり妄想しながら暮らしていくのであります。

部活帰りに遭遇した女子生徒と鈴の音。

私が通っていた中学校は山に囲まれた場所にありました。

回りは団地があり新築の家がどんどん建っていました。

当時、部活で帰りが6時過ぎで冬は街灯があっても暗い。

バス通りなので車の往来はありますが、人気はありません。

団地下のバス通りをずっと歩く訳ですが、民家はポツポツあるだけです。

その日も部活帰りで、たまたま一人でした。

団地入り口で同級生と別れてバス通りを一人で歩いていました。

300メートルほど行くと民家が3建並んでおり、人が立っていました。

制服姿で女子です。

足元に鞄を置いて、私に背を向けていました。

同じ制服なので先輩だと思いました。

おかっぱ頭のほっそりした人がガードレールの側に立っています。

私は一年生なので顔を見ないように下を向いて足早に通り過ぎました。

よく親に迎えに来てもらう生徒が待っている場所です。

車を待っていると思いました。

しばらくすると後ろから足音と鈴の音が聞こえます。

あれ?さっきの人かな?と思いました。

そのまま歩いているとどんどん鈴の音が迫ってきました。

足音も同じように聞こえます。

歩道ですが、杉の木が立ち並び民家がない場合でした。

その時、私の靴の紐がほどけて結び直そうとしゃがみました。

後ろから人が来ると思い、脇に寄って結びました。

あれ?音がしない。と気がつきました。

鈴の音も足音も聞こえないので、後ろを振り返りました。

誰もいません。

さすがに怖くなりの小走りになりました。

しばらくすると後ろから鈴の音が聞こえます。

嘘でしょう?と私はかなり焦りました。

鈴の音がどんどん迫って来るのです。

怖くて私は走りました。

ちょうど民家の明かりが見えてそこまで逃げるように走りました。

それでも音は迫ってきました。

どうしよう!どうしよう!私は必死に走りました。

その時、バス停が見えて、ちょうど団地行きのバスが上がってきました。

バス停に止まると、人が数人降りました。

必死で走ってその人達とすれ違いました。

思いきって振り向きましたが、降りた人以外、いません。

鈴の音も聞こえなくなり、家まで走って帰りました。

いつもは友達と帰るのですが、その日は風邪で休みでした。

この事は家族以外、話しませんでした。

友達に話して怖がらせてはいけないと思い、秘密にしました。

あの女子生徒は誰だろう?鈴の音はどんな意味があるのだろう?

今もたまに思い出しますが、謎のままです。

いろいろなモノの形について思うこと。

小さい頃から不思議に思っていたのは、地球がなぜ丸いのかと言うことです。地球だけでなくその他の天体も大概丸いです。

 

私が把握していないだけで楕円形のものや、もしかしたら複雑な形をしている惑星があるのかもしれませんが、中学生で習うような水金地火木土天海冥はすべて球体です。

 

しかも回っています。回っているからこそ球体にならざるを得ないのかもしれないと考えると、回っていない惑星は無いのかと言うと結論に至ります。

 

もし止まっている惑星があったとすれば、それは三角だったり四角だったらする可能性もあるのでしょうか。

 

不思議でなりません。太陽考えてみるとどうでしょう、太陽は自身が回っているわけではありません。形はと聞かれると、おそらく姉妹ではないかと思うんですがホントのところはよくわかりません。

 

しかし小さい頃からよく描く太陽のイラストというのはみんな円を書くことから、一般的な認識は円であると言えます。ここまで何もかもが球体であるとするならば、なぜこの宇宙は球体であふれているのかという事まで気になります。

 

宇宙の謎というのは考え出すと迷路ようなもので答えが分からなく、途方に遅れてしまういます。しかしそこには何かの意味やメッセージがもしかしたらあるのかもしれないと思いを馳せてしまうのが我々人間なのでしょうか。

掃除をするとその後必ず、何かいいことが起こる!

よく断捨離をすると運気が開けるとか、掃除をすると幸運が舞い込んでくるとか聞きますが、私は以前そういうことを聞いても「そんなわけないじゃないか」と聞き流してしまうタイプでした。


しかし、職場で人間関係に悩んだり、運が悪いなと思うことが続いて困ったなあと思っているとき、なぜか「掃除をしなければいけない状況」に追い込まれます。
そしてその後必ず良いことが起こるのです。


例えば、上司とそりが合わず困っていた時のことですが、当時付き合っていた彼氏が急に私の部屋に来ることになりたくさんの要らないものを捨て、徹底的に部屋を磨き上げました。


するとそのことがあってから急に事態が好転し、上司との関係も私が納得いく形で落ち着きました。


また、結婚後に狭いアパートに住んでいて「もっと大きな部屋に住みたいなあ」などと考えているとき、久しく会わない人が我が家に来ることになり大掃除をしたのですが、その後まもなく理想的な分譲マンションを購入することができました(金銭的にも非常に満足できるものでした)。 

 

その他にも、掃除をしたあと急に理想的なアルバイト先が見つかったり、臨時収入があったりと、細かい例を挙げればきりがありません。


掃除で運気が上がる、という言葉を聞いてもたいていの人が胡散臭い印象を持つと思いますし、なんら科学的な裏付けがあるわけでもありません。


しかし私は実体験として、掃除のおかげで助けられたとしか思えない経験を大なり小なり経ていますので、掃除と運気には明らかに関係がある!と思っています。

猫の顔洗いは天気予報になる?!

猫を飼ったことがある人は誰しも1度は聞いたことがあると思うのですが、猫の顔を洗うしぐさで明日の天気がわかるという迷信のようなものがあります。

 

顔を洗うときに耳の後ろから、念入りにに手を動かしていれば、雨が降る。顔を洗うときの手が浅く、耳の後ろまでいかない場合は雨が降らない。

 

という言い伝えがあります。科学的な根拠があるのかわからないですが、雨の前の湿気の量だったり、何か独特の感覚のようなものを猫が持ってっていて、その感覚器官が耳の後ろにあるのかなと予想もしたりしてみるのですが、本当のところはどうなのかはよくわかりません。また私自身も猫を飼っています。

 

私が飼っている猫は、この天気予報がかなりの確率で当たるのですが、日にちが1日ずれていて、耳後ろから手を回していた翌々日に雨がいつも降ります。

 

そうなってくると前々日に2日後の雨を感知するというのは凄く難しくて、天気予報でも外れることが多いのでさらに謎は深まるばかりです。

 

自然で生きている動物の方が私たち人間よりも感覚が優れているようなことが多いので、彼らの行動や仕草を見ているといつも何か意味があるのかと考えてしまいます。

 

生まれ持った本能というものが本当に凄いものだということがこのことからも学べました。

人の言葉や自分の夢に何かを感じていた私が、病気になりました。

数年前のことですが、ガンになりました。


といってもごく初期の段階で発見され、今は完治していますが、ガンが発見されるまでの過程が今考えても不思議でなりません。


そのころ、よく一緒にランチをしていた友人がいたのですが、病気などネガティブな話をあまりしたがらないその友人が突然「自治体から案内が来てガン検診に行ったら、良性だけど腫瘍が見つかったの」と言ってきたのです。


あれ、この人が珍しいな、と思いましたし、家に帰ってもなぜかその言葉が頭に引っかかって仕方がありませんでした。


自分も年齢的にガン検診に行かなければいけないと思いつつ、ついつい面倒で先延ばしにしていた私が、なぜか急に自分も病院に行こうと思い立ち、ネットで検索を始めたほどです。


また、そのことがあってからしばらくした後、亡くなった祖父母やその他の身内が次々に夢に現れ始めました。


全く怖い感じがせず、また夢に出てきても何か怖いことを言うでもないので、目が覚めた後もああ不思議だなあ、くらいの感想しかなかったのですが、その一方で、これまでなくなった身内の夢など見ることはなかったのに、これは何かある、と予感めいたものがありました。


それから数か月後、私自身にガンが見つかりました(自分でガンのしこりを発見しました)。


友人の言葉に何かを感じ、病院を探したこと、身内が夢に出てきたことなどが、この時私の中ですべて一つの線でつながったような感じがしました。


人によっては偶然の一言で片づけられてしまうかもしれませんし、かつての私もそうでした。


しかし、それまで何でもないように感じられたことに、なぜか強烈な印象を抱いたということが、私の中の何かが危機を教えてくれようとしていたのだと思わざるを得ません。


あのときその予感に突き動かされて、自分はガンかも!と思い自分の体を調べてみて良かったです。

押井守監督の不思議について期待を込めて

人を感性の冷たい聖域に連れ出すような希有なアニメを作る人です。


アニメーションよりも僕にとっては大事なのが環境映像作品です。


押井監督は純粋なアート映像も作る人です。


東京静脈という都心の川をボートからの景観を川を進みながら撮影し映像化した物があります。


幽玄な川井憲次氏の音楽でどこにもない優れた作品になっています。


アニメでは没頭が生まれるけれど、こちらは更に高い次元に人を運んでくれます。


信頼の置ける監督なんだと思います。

もう一つ愛知万博で使われためざめの方舟という映像作品があります。

これも唯一無二の仕上がりになっています。

夢を夢と言わせない力があります。

それは価値観を超越したなにかという事になります。

押井守監督の作品のような世界にこれから世界がなっていって欲しいです。

不思議な世界が押井守監督の周りには溢れだしているのかもしれないです。

これからもっともっとそれが集まり濃くなり第二第三の押井守監督やその申し子たちが現れ僕ら自身が皆それに融合していくように感じます。

生きててよかったという現実ができてくると思います。

何かを信じるという不思議を信じたらよいのです。

みんな目指す方向はおなじなのかもしれません。


自由に生きられるのかもしれないですね。


功罪は脱ぎ捨てて。