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みんなの不思議に思うこと

みんなが不思議に思っている事を載せていくブログ

一緒に住むと思考まで似てくるものなのか

私と主人は周りからなんで結婚したの?と言われるくらい、食べ物の好みも趣味も性格も何から何まで合いません。


そんな私達ですが、同じ言葉を同じタイミングで言うことがあるのです。


同じ歌を口ずさんでしまうだとかは聞いたことがありますが、双子でもないのに言葉がかぶります。


それがたまに起こるのではなく、頻繁に起こるのです。


趣味や性格が似ていると同じ考えをして、同じ言葉を発することはあるかもしれませんが、こんなにも合わない私達が、同じ言葉を同じタイミングで言うので不思議でたまりません。


もっと不思議なのが、話の流れとは全く関係ない話をしようとする言葉までかぶります。


会話の後、ちょっと間があいてから話を切り出すときも一緒です。


私達前世でも一緒だったのかな?運命だねなんて言うほどラブラブでもないので、ただただ不思議です。


最近は言葉が重なると気持ち悪いとまで思ってしまいます。


結婚するまでは、同じようなことを言おうとしてたということはあっても、言葉がかぶることは全くありませんでした。


結婚して家族になり、思考まで同じになってきたのでしょうか。


双子みたいな感覚で、言わなくてもお互い何を考えているのか分かるようになってきました。


ふと同じような経験をしている人はいないのか気になりました。

「魔法少女リリカルなのは」不思議を解決していく作品だったはずが・・

無印から12年。私はForceからの参入なのですが、「魔法少女リリカルなのは」のファンです。


魔法少女」というジャンルは、いわゆる「日常にあるハプニングを不思議の力で解決する」と言うものなのですが、「魔法少女リリカルなのは」はそこに熱血魔法少女の要素を含んだ作品になっています。


不思議とはこの場合は「魔法」です。その魔法にもいろんな種類があり、様々な系統もあります。その不思議の力を得た主人公、高町なのはは、平凡な小学三年生をしつつ、様々な問題を解決して行きます。

 

そして、その途中でもう一人の主人公であるフェイト・テスタロッサと出会い戦ってゆくのですが――。


本当に熱血系で、泣ける物語でもある「魔法少女リリカルなのは」。現在では十数年後の作中である「Vivid strike!」がやっていて、来年には前後編で「魔法少女リリカルなのはrefrection」が映画で出るらしく、まだまだ熱冷めやらぬ作品です。


一度は夢に見る魔法。それによって人生が変わっていく一人の少女の物語。

「refrection」では今まで語られなかった小学三年生時代の夏のお話らしいので、とても楽しみです。


これからも頑張って行って欲しいです。

魚をトラックで売りに出ている人は、何故廃業せずに続けられるのか

私は現在地方に住んでいますが、私の家の近くにはスーパーやコンビニがあります。そのスーパーやコンビニには朝から夜まで入れ替わり立ち替わり来店する人が絶えません。

 

そして、スーパーでは商品の宅配を行い、コンビニでは配食サービスを行っています。私の住む市の私の住んでいる地区は独居老人の方も増え続け、空き家も増えています。そういった中に、毎日軽トラックに魚を積んで売っている人がいます。

 

何処かに車を一定時間停めて売っているわけではないのですが、その移動式の魚屋さんは私が小学校時代から魚を売っていて、既に何台も車を替えています。しかし、「魚屋でございます。」というスピーカーからの声は過去数十年変わりません。


住んでいる人が徐々に替わり、また、今迄住んでいた人達が高齢化してきている上、繁盛しているスーパーがあるにも拘らず、この様な魚屋さんが未だに廃業せずに続けているのかが不思議です。

 

スーパーやコンビニで買い物をすれば、魚だけでなく他の物も一緒に買えるので、この魚屋さんから魚を買う人は決して多くないと思います。増して、買い物をヘルパーさんに依頼している人であれば、この魚屋さんから魚を買うようにヘルパーさんに頼んでいる人は皆無と思います。しかも、

 

この魚屋さん自体が高齢者になっているので、いつまでこの仕事を続けるのか判りません。この魚屋さんが採算が採れなければ廃業すると思うのですが、未だに続いているのが不思議です。

不思議なことについて考えた感想

不思議なことはよくありますが、どんなことかいつも考えてみることがあります。遠くにある光景がありますが、その先に何かが見えます。

 

木の合間、山の合間から見える光景として、それぞれ先にある出来事が、たくさんのことのようにおもいました。ものが動いていますが、それぞれ大変多くのもののようです。

 

他の場所にある物質とと出会い、それによって新しい関係が生まれます。谷を渡って山と山の間を抜けましたが、それから見えた新しい草地が、樹木の転々として場所にある、新しいものの出現をみることができました。

 

物質が動いて、物体によっていろいろな価値を持つ色や、背景があるものによって衝突がおき、新しい町や村に行くことによって起きる弊害があります。たくさんの手段をみて、新しい山や谷によって閉ざされた空間が、それより先に新しいものを見つけました。

 

その先にあるのは、閉ざされた閉鎖された建物の中で仲間が複数の事件から開放されるのをまっています。

 

まるで新しい出来事をまっているかのようにその場所にとどまっているのは、新しい場所からきた人が別々のものを持つ担い手のようにして、その出来事とは別の事件によって出現したことで始まる他の不思議な物事のようでした。

書ける時と書けない時の差が不思議

退院してから約三ヶ月とちょっとが過ぎました。


不思議なことと言えば、小説の書ける書けないの差でしょうか。集中力がある時とない時の差でもありますが。


思い浮かんだ時には一時間で3000字くらいは行けるのですが、書けない時は本当に500文字でも精一杯なので……。


私が書くのは主に二次創作なので、もとになる作品の情報が燃料となることが多いのですが、それでもやっぱり差が付きます。なんでだろうと日々不思議に思っています。


ちなみに今年に入ってからは、ちゃんと締め切りのある作品でしか書けず、やっぱり「統合失調感情障害」のせいで集中力が損なわれているのかなぁとも思います。集中力散漫になるのも病気のなかに入っているので……。


とは言え、書きたいネタがちょいちょいあるのも事実。頑張って書いてみたいなぁと思います。


その為にも、雑誌メガミマガジンコンプエースも買いたいですし、適度に働きたくもあります。まだドクターストップで年内で働くのはダメだと言われてはいるのですが、一回くらいならとも思います……あんまり親に借りるのも申し訳ないですし……。


あとはココアとか飲みたいですね。集中力向上に、ですね。
これからの目標は今あるネタを3000字以上の作品にすること、でしょうか。頑張ってみます。

ハーモニカでワープした不思議な体験

小学校三年生のころのお話です。当時、音楽の授業でなぜかリコーダーではなくハーモニカを習っていました。

ハーモニカといえば音の出し方が笛とは違って、吹いたり吸ったりと息の使い方からして違うんですよね。


それが小学三年のわたし(肺活量があまりない)にはとても苦しくて、吐いて吸って…とやって演奏が波に乗ってくる頃には(おそらく)ひどい酸欠状態になってくるような感覚に襲われていました。


そして、クラクラと気が遠くなりそうなくらいのレベルに達するとなぜか授業を受けているはずの音楽室の風景から、自宅の居間の畳の上に伏せている自分に切り替わるんです。


それは一回だけのことではありませんでした。

 

音楽でハーモニカを吹いている時だけなんですが、いわゆる「息が苦しい」状態になるとまるで「ワープ」するかのように景色が自宅の居間に変わり、音も聞こえなければまわりに誰もいないんです。


ハーモニカの授業が嫌いだったわけでもなく、音楽の授業は大好きでした。むしろ覚えたハーモニカをノリノリで吹いていたつもりだったのですが毎回自宅の居間に飛んで?ってしまうみたいなんです。


そして決まって「キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン」という授業終了のチャイムに打ち消されるようにハッと我に返り、授業を終えて音楽室から出るという感じでした。

 

とても不思議な体験でしばらくは誰にも言わなかったのですが、ある日友人にそのことを話すと「普通にハーモニカ吹いて座ってたよ」と言われました。今思い出しても不思議でなりません。

髪の毛が禿げてしまうのが怖くてたまりません。

髪の毛ってなんで禿げてしまうんでしょうか。私はもうすぐ中年という年齢にさしかかろうとしているのですが、一つ恐怖に思っている事があるんです。それは自分はこの先禿げてしまうんだろうかと言う事です。

バカみたいな悩みかも知れませんが、すごく怖いです。家の家系は祖父も父も禿げてしまっているので、自分もかなりの確率で禿げてしまうのではないかと思っています。禿げてしまったら人としてのかっこよさの部分は全部無くなってしまうんではないか、というぐらいに思っています。

いくらオシャレを気にしても、いくらスタイルを保っていても禿げてしまったらすべて無意味な気がするんです。だからとても禿げてしまう事を恐れているんです。

そもそも禿げるって不思議だと思いませんか?だって毛と言う物はその部分を守る為に生えているはずなのに、なんで抜け落ちる必要があるんでしょう。禿げたって良い事なんか何一つ無いのにわざわざ人間にそんな機能がついている事が不思議でしょうがないです。

特に頭なんて一番重要な部分なのに、その部分を守らなくてどうするんだ。と言う感じです。一体なぜ人間は生きている途中で髪の毛を放棄する事を選んで進化してしまったんでしょう。私はその事が怖くてたまりません。

夢が現実になった次男の出産経験

私には長女と次男の二人子供がいます。その次男を出産する際に不思議な体験をしました。


丁度妊娠中34週目辺りの頃に嫁の出産の兆候が少しずつ出だし、そろそろいつ出産がきてもいいように入院の準備をしなきゃなぁと少しずつ準備をしていたのを覚えています。


ある日夜眠りにつき嫁はこんな夢をみたそうです。夢の内容は私が嫁に「絶対夜中に生まれるぞ。絶対夜中に生まれるぞ。」となんかいも言っていたそうです。

 

一応こんな夢をみたよーと話は聞いていましたがきにもせず毎日をすごしていました。そしてついに出産の時がきました。夜12時すぎに出産のスイッチがはいり私は陣痛の合間合間をねらって少しずつ嫁と移動しながら車に運び、産婦人科に運びました。

 

そして一時間程の安産でしたが、元気な男の子を無事出産することができました。


時間は夜中1時過ぎ、ふと以前の夢の話を思い出し不思議な気持ちになったことをおぼえています。


気になったので助産師さんに話をしたところ人それぞれではありますが、夢の中で色々メッセージを受けとるかたも少なくはないそうです。私が聞いたはなしでは、いついつにでるよーという赤ちゃんからのメッセージや妊婦さん自体がいついつに産むという夢を何回もみるというのを伺いました。


もしこれから出産を控えているか方がいらっしゃいましたら夢を意識して過ごしてみるのはいかがでしょうか?

若い男性の眉毛が細いのはどうしてか

数年前から気にはなっていたのですが、若い男性の眉毛が細すぎやしませんか?
誰をリスペクトしてそうしているのかが不思議です。


世間でイケメンと言われている、俳優やタレントで眉毛整えて細くしているなあという人はわずか。


福山雅治だって、小栗旬だって自然な太さの眉毛なのです。
特にむかつくのがスポーツ選手。


国際大会などで海外の選手は眉毛なんて整えてないですよ。
しかも、ブサイクな男性ほど不自然な形にしています。


剃ったところが青々として醜いです。


以前、ネットで調べたところ、「女性にもてる男は眉毛を整えている」的はまとめ記事を見つけました。


男性は眉毛を整えたほうがかっこいいと思っているらしいのです。


女性から見て、自分より細い眉毛の男性は気持ち悪いとしかいいようがないです。
鏡見ながら眉毛を整えている姿を想像しただけで気味が悪いじゃないですか。


百歩譲って若者は周りが眉毛を整えるから自分も・・・と考えるのは分かります。
レジェントとか言われている40代のスポーツ選手が細く、きれいに眉毛を整えているのを見るとびっくりです。


若い子と同じように眉毛を細くして恥ずかしくないのかなと思います。


松岡修造さんが、バトミントンの謹慎している選手の眉毛をまじまじと見て「眉毛自分で整えてるの?」とびっくりした顔をして聞いていたことがあるんです。


それが世間の声なんじゃないかなって思います。


細くしている方々、自然に戻したほうがいいと思いますよ。

なぜ人は流行にのりたがるのか?

私が常に不思議に感じていることは、なぜ皆流行の波に乗りたがるのか?という事です。


女性のファッションでいえば、今年はくるぶし丈のソックスが流行りました。
現在冬の季節ですが、寒くてもミニスカートとくるぶし丈のソックスを履いている学生さんがいました。


絶対その組み合わせは寒いだろうなーと見てて思いましたが、流行りに乗っているからということなんでしょうね。


他にも最近同じようなリュックを背負っている方を街中で多く見かけます。
黒の四角いリュックで、がばっとチャックが開いて荷物は入れやすそうだなとは思いますが、皆同じようなスタイルに見えてしまいます。

なんなんでしょうね、とても不思議です。自分がしたいファッションや持ち物をしていけばいいのにな、と私は常日頃から思っているのですが、しかし私も10代の頃は雑誌を見ては同じようなファッションをしておりました。


その当時は女子のかたまりの中にいまして、皆同じスタイルでなければならない、という暗黙のルールがあったような気がします。その中で過ごしてはいましたが、窮屈に感じている自分も正直いました。

その考え方が変わったのは海外留学してからです。


イギリスの語学学校で2年間勉強していたのですが、皆のファッションは個性的で自分の着たいものを着こなすスタイルでした。洋服は新品ではなくて古着を活用しており、とても素敵なだなと思いました。


それから私も流行を追うことなく、自分の着たいものを着る派になっていったのですが、流行を追う気持ちも分からないではないのですが、いつまでも追っている人を見ると不思議だなと思います。