お正月に近所で野良猫を見かけなくなる不思議
もう随分前から思っているんですけど、お正月に野良猫を見かけない気がするんです。それも、庭猫と呼ばれるかなりお馴染の猫達です。
この半分野良で半分飼い猫の猫達には、ゴミが出ないと言う単純な理由は通用しないと思うのです。ゴミなんか出てなくとも、庭先でご飯をくれるお家がある猫達です。
では、お正月は家が留守になるからか...と言うと、それも違うと思うんです。すべての家が留守になることは無いし、猫は家に付いているモノとも言われ、ご飯をくれる家の人が居ようが居まいが、そこにいる生き物です。
そこで、ここから私の推測なんですが、明らかに野良猫達にはお正月というものが分かっているように思うのです。寒くなって、クリスマスのイルミネーションが消えて、家の玄関にいつもと違うワラの飾りが出たら、人間たちにとって「一番大切な時期の始まり」..と知っているのではないかということです。
猫は人間の心を見抜くとも言われます。つまり、いつもとは違う神聖な数日間なので、自分たちも静かにしているのかもしれません。
そして、もう一つの推測は、野良猫だけでお正月に集会があるのではないか...ということです。どこであるかと言うと、一番に浮かぶのは招き猫のお寺で有名な豪徳寺です。豪徳寺を目指して、クリスマスが終わった頃から、遠路はるばる野良猫達はいなくなるような気がしています。
霊感がはたらく人をみると、不思議な気がします。
私は霊感がはたらかない人間ですから、霊感がはたらく人を見れば不思議な気がするのです。
これが霊感というものかと思ってみますが、それはただの私の感があたりよかった位です。
実際にその様な霊感がはたらく女性と男性とお会いしたことがあります。
一人は、思春期を過ぎた頃の女の子でしたが、スプーン曲げを霊感をはたらかして曲げる事ができるのです。
以前50年程前にこの様な報道がありましたが、私の近くにいる人がやってみせてくれました。
不思議で不思議でたまらなく、その霊感がはたらく人の真似を、周りの人達がしてはみましたが同じようには出来なかった経験をしたものです。
もう一人は男性ですが、霊感が人の身体の部分へはたらくという人なのです。
この霊感もとりいれて、お仕事もなさっていました。
霊感・ご自分の知識・カイロプラスチック・砂に指を入れて指先に力を入れる事など様々な努力をされた人です。
この様な治療をする場合に、人の身体の悪い部分に手をもっていくことが出来るのです。
実際わたくしも治療をして頂きました。 お人柄もよく、治療の効果は抜群でした。
私は大きな子宮筋腫をない状態にまで、して頂きました。
筋腫がある時には私は辛く、例えばゴキブリが弱って反対に向くような感じとなり、痛みと辛さを我慢したものでした。
この先生は信頼も厚く、多くのお客さんをもっていらっしゃいました。
地元の新聞へも載せたいとの依頼もあったらしいのですが、お断りをし派手にはしたくなかったという事です。
今でも不思議。祖母との最後の想い出
17年前のことです。同じ敷地内に暮らしていた夫の祖母が亡くなりました。夫は早くに両親を亡くし、祖母が親代わりとなって夫とその兄弟を育ててくれたのです。
ですから祖母の夫への想いは普通の孫に対するそれよりも、強い物だったのでしょう。
強すぎる想いが空回りをして、お互いがギクシャクしてしまう様な関係のそばで私はただオロオロするばかりでした。
そんな時に祖母は亡くなり、初めて私は家族から葬式を出すことになりました。しかも現在ではあまり無いことと思いますが、自宅で全てを執り行ったのです。だから私も疲れていたのかも知れません。
葬儀も終わり後は火葬場まで行くのみとなった時に、座っている私の背中にそっと誰かが寄り添って来たのです。
まるで小さな子が甘えて寄りかかって来たようでした。自分の子がまだ3歳だったので、飽きて甘えて来たのかと思いました。笑わせてやろうとして、思い切りおかしい顔をして振り返りました。
そこには誰も居なかったのです。
私の子は部屋のすみで手伝いに来た実家の母に抱かれてちゃんと座っていました。母にどうしたの、と怪しまれました。それはそうです。
葬儀の席で変な顔をしている嫁、これは怪しい。誰かが背中にくっついて来たんだよ、と言い訳したのですが、
私の後ろには誰も居なかったそうです。気配だけじゃない、重さまで感じたのです。狐につままれたような気持ちでした。後から夫に言ってみました。
「ばあちゃんが、お別れに来たのかな。」
「なんで俺の所に来ないでお前の所だけにくるんだよ。」少し夫はイラっとしていたみたいでした。
それもそうですが、祖母からの最後のお別れだったと思うのは私の勝手です。だから、これは不思議だけれど心の温まる私のとっておきの体験なのです。そういう事にしておいて下さい。
禁欲は第6感をも冴えさせるのか 禁欲の不思議な経験
ある日俺は衝動的にマスターベーションを1日に3回程したことがあった。
その翌日の仕事はというと…
原因不明の不安感にさいなまれ、仕事中パニックになりそうでたまらなかった。もちろん仕事内容もよくなかった。
周囲もなんとなく冷たい気がした。
それからマスターベーションのやりすぎは確実にいいことが起こらないと確信。
以来、適度に自制するようにした。
そしてある時、これは長期間我慢すればますますよいことが起こるのではないか。
そう思い、1週間程禁欲。
禁欲は辛かったが仕事などの実生活においてはよいことが増えた。
頭の回転が早くなる。
以前よりはモテるようになる。
これらは禁欲によってテストステロンが上昇するから現れる効果とのこと。
だが不思議なのが…
運がよくなる。
面倒毎にまきこまれなくなる。
といった禁欲は関係ないだろうという、良いことも起きていた。
よいことだから起きてよいのだけども、なぜ禁欲でそれらが発生するのか。
例えば、携帯アプリのガチャで希望のものがあっさりひけたり、 社会の面倒な付き合いを自然な形で避けることができたり。
例えば飲み会の誘い。自分が行きたくないなと思っているものは自然と声がかからなかったりする。
それは周囲が気を使って誘わないというものではなく、 誘おうと思ったけどその時たまたま近くにいなかったとか、 こちらにとって都合の良い理由で誘われなかったりする。
なぜこのようなことが起きるのだろう。
よいことだから起きてよいのだけども。
禁欲することで、何か第6感的なものの働きがよくなるのかもしれない。
人は皆、不思議ちゃんだったのだ。きっと。
私の娘が5歳くらいのときでした。下の子もまだ小さかった為に、二人一緒に寝かしつけをしていました。その日、何だか難しい顔をしているなあ、と思っていたら、目がおかしいと娘が私に訴えるのです。
近視(私も夫もひどい近視なので)かはたまた結膜炎か、と慌てたのですが、どうも違うらしいのです。
娘が変な物が見える、白くてフワフワした綿の様な物が私の頭の辺りに浮いていると言うのです。
「こんなに邪魔くさくて、鬱陶しいのに、ママは気にならないの?」と真面目に訊いて来るのです。「ここらへん?」と言われた辺りを指差すと、私の手が白いフワフワを突き刺した状態になっていると言うのです。
子どもの言うことだけれど、気味が悪くて思わずその手をブンブンと振り払ってしまいました。このフワフワは何?と訊いて来るので、何か返事をしなくちゃ、と私は考えました。今子供たちを怖がらせてしまっては、まさしく寝た子を起こすことになってしまうからです。
困った私はケセランパサランだよ、と答えました。皆さんご存知ですか。目撃すれば幸せになれるという、伝説の生き物です。
「良かったね、幸せになれるんだよ。」と私が言うと、娘は少し納得の行かない顔でしたが、仕方なく眠りにつきました。自分も白いフワフワが見たいと、下の子にぐずられたのが想定外でしたが、何とかその場をやり過ごすことが出来ました。
後から娘に訊いたところ、納得の行かない顔をしていたのは、こんなに遅い時間に出てくる変な物が自分を幸せにしてくれるとは思えなかったから、だそうです。娘はこの後も家族4人で寝室にしていた部屋を、嫌な気配がすると言って一人では行きたがらなかったりと、度々不思議な事を言っていました。
でも現在娘は23歳、普通の女性になりました。なのでこれで良かったと思うべきか、それとも不思議なことを言っていた頃の方が面白くて良かったのか。私には分からないのです。でも子どもを育てていたら、不思議なことの一つや二つはありますよね。皆さんそうですよね。
夢に出てくる兵隊さん対策で数珠を探すが‥
不思議なことと言えば、私は沖縄が好きで何年かに一度旅行に行くのですが、滞在中ホテルで寝ていると必ず夢で軍服を着た兵隊さんが私のベッドの周りをぐるぐる回るのです。
夢でしか見ないし毎度のことなのであまり気にしていなかったのですが、この前沖縄に旅行に行くとき「そうだ!今回は数珠を持っていってみよう!」と思い立ち、いつも数珠をしまっている棚をあけて探してみるもどうしても見つからないんです。
頻繁に数珠を使うわけでもないので、必ずし決まった場所にしまっているはずなのに、見つからない。これはどういうことなのか‥。しかし出発の時刻が迫っていたので数珠は諦めて沖縄に出発しました。
まぁ、予想通りホテルで寝ていると顔の表情がよく見えない軍服の兵隊さんがぞろぞろ私の夢に現れました。私は霊能力者ではないので、兵隊さんをどうにかしてあげられることもなくひたすら気にせず寝るしかありません。
滞在中兵隊さんたちに囲まれながらあまり熟睡も出来ず目の下にクマを作りながらようやく帰宅し、真っ先に出発前に数珠を探した棚をもう一度開けてみました。
なんと数珠は探さなくても目の前にあるではないですか。
なんであれだけ探して見つからなかった数珠が、帰宅したら棚の一番手前にあるのでしょう。なにか不思議な力によって数珠を隠されていたとしか思えません。
私が見たものはなんだったのでしょう?
あれは数年前の、大晦日に近い夕方のことでした。その日は日曜日だったため小学生の子供たちも含め家族全員が家でくつろいでいましたが、夕方になり外も暗くなって
きたため、妻がリビングのシャッターを閉めようとした時でした。
外を見ていた妻が突然「お父さん、ちょっと、アレ何かしら?」と叫ぶのです。そばにいた子供たちと 妻のそばに駆け寄り、あわてて外を見ながら「アレって何のこと?
どこ、どこ?」と尋ねると、妻はなんと空の上を指さし、「ほらあれ、あれ」と、心なしか興奮気味に 叫んでいます。
空を見上げたのですが、薄暗い空には何も見えず、大晦日に近い季節にしては生暖かい風が、部屋の中を吹き抜けていきます。
「なんだよ、何も見えない じゃないか」。と不満げに言うと、妻はまだ興奮冷めやらぬ口調で「ほら、あそこ。
雲の裏側を何か大きな光るものが動いてる」。
と頭上を指さして言うのです。そして、
その妻の指さす先には、確かに雲の裏側を大きく光るものがゆっくり移動しているのがわかります。
最初は雲に遮られてよくわからなかったのですが、確かに雲の内側を 楕円形をした横に細長いものがゆっくりと動いていきます。
「う~ん。確かになにかが動いてるねえ。月だったら丸いけど、あれは細長い楕円形をしたものだよねえ。
何だろうねえ。」子供たちも「ねえ、UF0じゃないの?」と、興味深げに訊いてきます。
確かにそう言われてみれば、いつかテレビのUF0番組でやっていた「葉巻型
母船」とそっくりのようにも思えます。
しばらく、時間にして10分ほどでしょうか、皆で見ながら騒いでいるうちに、あの横に細長い楕円形の光はいつの間にか消えて いました。今でも時々大晦日が近くなると思い出すのですが、私の見たアレは一体なんだったのでしょう?
田舎の休日人々はイオンに引き寄せられる
私は休日よくイオンに行きます。イオンに行けば映画館もあるし洋服や雑貨に電化製品、そして食材までなんでも揃うからです。
また私の住む地域には娯楽が少ないのも理由の一つです。家族も休日はイオンに行くことが多いし車を持っていない学生達は駅からイオンまでの送迎バスがあるので皆でそれに乗りイオンに行きます。
休日イオンに行くと人でごった返しています。そして必ず一人は知り合いに会います。特にこれといって必要なものもないのにイオンに行ったり、行きすぎて飽きてしまうこともありますが、それでもイオンに行ってしまいます。
行ったら癒される訳でもありません。むしろ人でごった返した広い店内をうろつくことはとても疲れます。
またせっかくの休日に会いたくない人に遭遇してしまう事だってあります。毎週末真新しいことがある訳でもありません。
一番近いイオンでも家から車で40分ほどかかります。なのに休日退屈になるとイオンに行きたくなってしまうのです。周りの人も皆そうです。
友達とあてのないドライブ中、どこ行く?という会話になると結局行き先はイオンになります。どうしてこうもイオンに行ってしまうのでしょう。イオンは人を引き付ける不思議な力を持った場所だと思います。
一緒に住むと思考まで似てくるものなのか
私と主人は周りからなんで結婚したの?と言われるくらい、食べ物の好みも趣味も性格も何から何まで合いません。
そんな私達ですが、同じ言葉を同じタイミングで言うことがあるのです。
同じ歌を口ずさんでしまうだとかは聞いたことがありますが、双子でもないのに言葉がかぶります。
それがたまに起こるのではなく、頻繁に起こるのです。
趣味や性格が似ていると同じ考えをして、同じ言葉を発することはあるかもしれませんが、こんなにも合わない私達が、同じ言葉を同じタイミングで言うので不思議でたまりません。
もっと不思議なのが、話の流れとは全く関係ない話をしようとする言葉までかぶります。
会話の後、ちょっと間があいてから話を切り出すときも一緒です。
私達前世でも一緒だったのかな?運命だねなんて言うほどラブラブでもないので、ただただ不思議です。
最近は言葉が重なると気持ち悪いとまで思ってしまいます。
結婚するまでは、同じようなことを言おうとしてたということはあっても、言葉がかぶることは全くありませんでした。
結婚して家族になり、思考まで同じになってきたのでしょうか。
双子みたいな感覚で、言わなくてもお互い何を考えているのか分かるようになってきました。
ふと同じような経験をしている人はいないのか気になりました。
「魔法少女リリカルなのは」不思議を解決していく作品だったはずが・・
無印から12年。私はForceからの参入なのですが、「魔法少女リリカルなのは」のファンです。
「魔法少女」というジャンルは、いわゆる「日常にあるハプニングを不思議の力で解決する」と言うものなのですが、「魔法少女リリカルなのは」はそこに熱血魔法少女の要素を含んだ作品になっています。
不思議とはこの場合は「魔法」です。その魔法にもいろんな種類があり、様々な系統もあります。その不思議の力を得た主人公、高町なのはは、平凡な小学三年生をしつつ、様々な問題を解決して行きます。
そして、その途中でもう一人の主人公であるフェイト・テスタロッサと出会い戦ってゆくのですが――。
本当に熱血系で、泣ける物語でもある「魔法少女リリカルなのは」。現在では十数年後の作中である「Vivid strike!」がやっていて、来年には前後編で「魔法少女リリカルなのはrefrection」が映画で出るらしく、まだまだ熱冷めやらぬ作品です。
一度は夢に見る魔法。それによって人生が変わっていく一人の少女の物語。
「refrection」では今まで語られなかった小学三年生時代の夏のお話らしいので、とても楽しみです。
これからも頑張って行って欲しいです。