みんなの不思議に思うこと

みんなが不思議に思っている事を載せていくブログ

掃除をするとその後必ず、何かいいことが起こる!

よく断捨離をすると運気が開けるとか、掃除をすると幸運が舞い込んでくるとか聞きますが、私は以前そういうことを聞いても「そんなわけないじゃないか」と聞き流してしまうタイプでした。


しかし、職場で人間関係に悩んだり、運が悪いなと思うことが続いて困ったなあと思っているとき、なぜか「掃除をしなければいけない状況」に追い込まれます。
そしてその後必ず良いことが起こるのです。


例えば、上司とそりが合わず困っていた時のことですが、当時付き合っていた彼氏が急に私の部屋に来ることになりたくさんの要らないものを捨て、徹底的に部屋を磨き上げました。


するとそのことがあってから急に事態が好転し、上司との関係も私が納得いく形で落ち着きました。


また、結婚後に狭いアパートに住んでいて「もっと大きな部屋に住みたいなあ」などと考えているとき、久しく会わない人が我が家に来ることになり大掃除をしたのですが、その後まもなく理想的な分譲マンションを購入することができました(金銭的にも非常に満足できるものでした)。 

 

その他にも、掃除をしたあと急に理想的なアルバイト先が見つかったり、臨時収入があったりと、細かい例を挙げればきりがありません。


掃除で運気が上がる、という言葉を聞いてもたいていの人が胡散臭い印象を持つと思いますし、なんら科学的な裏付けがあるわけでもありません。


しかし私は実体験として、掃除のおかげで助けられたとしか思えない経験を大なり小なり経ていますので、掃除と運気には明らかに関係がある!と思っています。

猫の顔洗いは天気予報になる?!

猫を飼ったことがある人は誰しも1度は聞いたことがあると思うのですが、猫の顔を洗うしぐさで明日の天気がわかるという迷信のようなものがあります。

 

顔を洗うときに耳の後ろから、念入りにに手を動かしていれば、雨が降る。顔を洗うときの手が浅く、耳の後ろまでいかない場合は雨が降らない。

 

という言い伝えがあります。科学的な根拠があるのかわからないですが、雨の前の湿気の量だったり、何か独特の感覚のようなものを猫が持ってっていて、その感覚器官が耳の後ろにあるのかなと予想もしたりしてみるのですが、本当のところはどうなのかはよくわかりません。また私自身も猫を飼っています。

 

私が飼っている猫は、この天気予報がかなりの確率で当たるのですが、日にちが1日ずれていて、耳後ろから手を回していた翌々日に雨がいつも降ります。

 

そうなってくると前々日に2日後の雨を感知するというのは凄く難しくて、天気予報でも外れることが多いのでさらに謎は深まるばかりです。

 

自然で生きている動物の方が私たち人間よりも感覚が優れているようなことが多いので、彼らの行動や仕草を見ているといつも何か意味があるのかと考えてしまいます。

 

生まれ持った本能というものが本当に凄いものだということがこのことからも学べました。

人の言葉や自分の夢に何かを感じていた私が、病気になりました。

数年前のことですが、ガンになりました。


といってもごく初期の段階で発見され、今は完治していますが、ガンが発見されるまでの過程が今考えても不思議でなりません。


そのころ、よく一緒にランチをしていた友人がいたのですが、病気などネガティブな話をあまりしたがらないその友人が突然「自治体から案内が来てガン検診に行ったら、良性だけど腫瘍が見つかったの」と言ってきたのです。


あれ、この人が珍しいな、と思いましたし、家に帰ってもなぜかその言葉が頭に引っかかって仕方がありませんでした。


自分も年齢的にガン検診に行かなければいけないと思いつつ、ついつい面倒で先延ばしにしていた私が、なぜか急に自分も病院に行こうと思い立ち、ネットで検索を始めたほどです。


また、そのことがあってからしばらくした後、亡くなった祖父母やその他の身内が次々に夢に現れ始めました。


全く怖い感じがせず、また夢に出てきても何か怖いことを言うでもないので、目が覚めた後もああ不思議だなあ、くらいの感想しかなかったのですが、その一方で、これまでなくなった身内の夢など見ることはなかったのに、これは何かある、と予感めいたものがありました。


それから数か月後、私自身にガンが見つかりました(自分でガンのしこりを発見しました)。


友人の言葉に何かを感じ、病院を探したこと、身内が夢に出てきたことなどが、この時私の中ですべて一つの線でつながったような感じがしました。


人によっては偶然の一言で片づけられてしまうかもしれませんし、かつての私もそうでした。


しかし、それまで何でもないように感じられたことに、なぜか強烈な印象を抱いたということが、私の中の何かが危機を教えてくれようとしていたのだと思わざるを得ません。


あのときその予感に突き動かされて、自分はガンかも!と思い自分の体を調べてみて良かったです。

押井守監督の不思議について期待を込めて

人を感性の冷たい聖域に連れ出すような希有なアニメを作る人です。


アニメーションよりも僕にとっては大事なのが環境映像作品です。


押井監督は純粋なアート映像も作る人です。


東京静脈という都心の川をボートからの景観を川を進みながら撮影し映像化した物があります。


幽玄な川井憲次氏の音楽でどこにもない優れた作品になっています。


アニメでは没頭が生まれるけれど、こちらは更に高い次元に人を運んでくれます。


信頼の置ける監督なんだと思います。

もう一つ愛知万博で使われためざめの方舟という映像作品があります。

これも唯一無二の仕上がりになっています。

夢を夢と言わせない力があります。

それは価値観を超越したなにかという事になります。

押井守監督の作品のような世界にこれから世界がなっていって欲しいです。

不思議な世界が押井守監督の周りには溢れだしているのかもしれないです。

これからもっともっとそれが集まり濃くなり第二第三の押井守監督やその申し子たちが現れ僕ら自身が皆それに融合していくように感じます。

生きててよかったという現実ができてくると思います。

何かを信じるという不思議を信じたらよいのです。

みんな目指す方向はおなじなのかもしれません。


自由に生きられるのかもしれないですね。


功罪は脱ぎ捨てて。

愛犬の不思議な行動について

わたしが非常に不思議だと日々感じていることは飼い犬の行動についてです。

 

寒い日にはいつもわたしにくっついて眠ることが多いのですが、日によってくっつけて寝るところが違います。

 

いつもはおしりをくっつけて寝るのですがたまに頭をくっつけて眠ることがあります。あまりに寒いのならばおしりやからだごとひざのうえに乗ればいいのにと思うことがあります。集団で生活するというスタイルが主な犬の習性なのでしょうか。

 

もうひとつは、ただただ飼い主のことが好きで、そばにいると安心するからという理由もあるのかもしれません。

 

現に私と一緒にいるときとお留守番させているときとは顔つきが違うようです。飼い主のそばで心地よさそうに眠っているわんこを愛おしく思い、「このまま一緒に寝ちゃおうかな~」と眠気に襲われながらも、「犬と一緒に寝てはいけない」などと聞いて、心配する人もいるかもしれません。


でも、寝ている時に飼い主がどかそうとすると唸ったり噛もうとするなどといった行動や、全くいうことを聞かないなどといった普段の行動に大きな問題もなく、それほど心配しなくても大丈夫なようです。

 

また犬の急所は、おなか以外に後ろ足も急所のひとつだといいます。なるべく傷がつかないように気を付けています。

遠くて近い、近くて遠い亡くなった家族」

私が不思議に思っていることは、「どうして亡くなった家族のことを、身近に感じるのか?」ということです。


家族が亡くなると、生きている時以上に身近に感じるのは私だけではないかも知れません。


命があるうちは何気ない日常は小さなことでケンカをしたり、わがままを言って後になって後悔したりすることも多い私です。


でも家族が亡くなると、生前には言葉にしなかったような想いが溢れます。

 

「あの時。ああすれば良かったな」、「もっと素直になれば良かったな」そんな想いが頭の中を巡ります。だから、「おばあちゃん、あの時は本当にごめんなさい」とか、「お父さん。今、私はあの時のことを、こんなふうに思っています」などと心の中で思い、亡くなった家族に話しかけています。


亡くなった家族には素直になれて、優しい気持ちになれるのですね。私がそんなふうに感じる分だけ、私の心の中にも亡くなった家族が住み続けてくれているように感じます。


「おばあちゃんが〇〇〇(私)のことを守っていないわけがないんだよ。おばあちゃんは、いつだって側にいるから大丈夫だよ」、「おぉ、〇〇〇(私)、お父さんも守り、励ましているからな!大丈夫だ」と生きている時の何倍も身近に感じるのです。


いつか・・・私も自分の命を使い終わった時、亡くなった家族に「頑張って生きてきました」と正々堂々と胸を張って言えるように毎日を丁寧に、大切に生きていきたいと思っています。

まったく問い合わせの返事がこないネット会社

私は家のネットはWiMAXを使ってます。
一番安い会社のを使ってるんですが、そこの会社がいまいち問題ありだな…という不思議ポイントがいくつもあるんです。


まず、膨大なメールがほぼ毎日送られてきます。迷惑メール扱いにしてあるのですが、スパムメールレベルです。これはいくらなんでもヒドイですし、利用者が不快に思うと会社は思わないのかな…と不思議です。


あと、わからないことがあって問い合わせフォームから問い合わせしたのですが、いっこうに返信がきません。


これには驚きました。


また、契約更新をしたのですが、そこで問い合わせたいことがあったので、「早めに返信お願いします」みたいなこともちゃんと書いてメールしたのですが、これもまた、無視状態です。


かなり有名な会社がやってるサービスなのですが、こういう感じだと衰退してだめになっていくんじゃ…と思います。


まず、なぜ問い合わせメールに返信してくれないのか不思議です。


他のサイトの会社とかだと、かなり迅速に丁寧に返信してくれます。


忙しいのはわかりますが、それでも遅れてもいいので返信は欲しいです。ですが、その問題アリの会社はおそらく返信はこなさそうな感じです。


安いので更新契約しましたが、次の更新はしないかもしれません。

医者の人柄が昔より落ちている?

私が小さい頃、内科、歯医者、眼科、といろんな医者にかかりましたが、どこのお医者さんでも人柄もよく、まさに「先生」という感じでした。


でも最近不思議に感じるのが、お医者さんの人柄です。


明らかに「このひと問題あるな」というような人が増えた感じがします。


ぶっきらぼうで、突然キレるみたいな言い方をする医者とか、余計な恐怖心を与えるようなことを言って病院にこさせるような医者、特になんでもない症状なのに通院させ続ける医者、風邪薬が欲しいのに薬をだししぶるおかしな医者…などです。


こんな医者、昔はいなかったよな…と不思議です。


医者の質がおちているんじゃないでしょうか?


それとも、誰でも簡単に医者になれるというか、医者があまっているんでしょうか。


医者はある意味サービス業でもあると思うんですよね。接客というか、患者はお客さんだと思うんです。


でも、うまくコミュニケーションとれない医者とか、とにかく通院させたがるだけの医者とか、本当に患者の身になって考えてくれている医者が少ないな…と感じています。
これは時代的なものなんでしょうか?


最近、医者探しに困ることが多いので、昔はこんなことなかったのにな…と不思議に思ってます。

千社札を貼るところを見た人の話も聞いたことが無い不思議

千社札に関しては、子供の頃からすごく不思議に思ってきました。でも、とりあえず古い千社札は、昔の流行りだったという程度で深く考えずに終わりにしていました。でも、新しめの千社札を見かけると、またムクムクと疑問が湧いてくるのです。


近所のお地蔵様の小さなお堂が、最近新しくなりました。明るい木の感じが清々しく、中のお地蔵様も嬉しそうに見えました。私もちょくちょくお参りしていたのですが、そのうち少しずつまた千社札が貼られるようになりました。

 

目障りというわけではないのです。たくさんの方がお参りしている証拠とも言えますが。この千社札、いつ貼っているのでしょう?ここのお地蔵様は人通りも多く、私もよく通る場所で、一度くらい貼る瞬間を目撃することがあっても良いと思うのです。


千社札って、不思議よね」と言う会話を今までいろんな方としてきましたが。誰一人「貼るところ見たよ」と言う人はいません。私は、神社にもよくお参りしますが、やはり一度も千社札を貼る人を見たことないです。高い場所は、竿のような棒で貼るそうですが、そんな棒を持っていたら、変なので目立つはずなのですが。


夜中に参拝される方もいますので、深夜にこっそり貼っているのかもしれませんね。一度、貼るところを見てみたいです。

お正月に近所で野良猫を見かけなくなる不思議

もう随分前から思っているんですけど、お正月に野良猫を見かけない気がするんです。それも、庭猫と呼ばれるかなりお馴染の猫達です。

 

この半分野良で半分飼い猫の猫達には、ゴミが出ないと言う単純な理由は通用しないと思うのです。ゴミなんか出てなくとも、庭先でご飯をくれるお家がある猫達です。


では、お正月は家が留守になるからか...と言うと、それも違うと思うんです。すべての家が留守になることは無いし、猫は家に付いているモノとも言われ、ご飯をくれる家の人が居ようが居まいが、そこにいる生き物です。


そこで、ここから私の推測なんですが、明らかに野良猫達にはお正月というものが分かっているように思うのです。寒くなって、クリスマスのイルミネーションが消えて、家の玄関にいつもと違うワラの飾りが出たら、人間たちにとって「一番大切な時期の始まり」..と知っているのではないかということです。

 

猫は人間の心を見抜くとも言われます。つまり、いつもとは違う神聖な数日間なので、自分たちも静かにしているのかもしれません。


そして、もう一つの推測は、野良猫だけでお正月に集会があるのではないか...ということです。どこであるかと言うと、一番に浮かぶのは招き猫のお寺で有名な豪徳寺です。豪徳寺を目指して、クリスマスが終わった頃から、遠路はるばる野良猫達はいなくなるような気がしています。